1:2016/06/03(金)00:20:42 ID:
「無常」「無我」について書いていく
自意識過剰なやつは少しは役に立つかもしれん
3:2016/06/03(金)00:37:54 ID:
書き溜めてないから、少し時間がかかるかもしれん
誰も見てなくても取りあえずは書きたいことを書いていく
のんびりしとるがどうぞお付き合い
4:2016/06/03(金)00:38:14 ID:
まず「無常」から
諸行無常って聞いたことあるとおもう。
物事の一切は移り変わってしまうというあれだ。

この変わってしまう物事の中で一番重要なのは「心」だ。
そのことについて考えてみたい。
5:2016/06/03(金)00:43:31 ID:
「誰でも自分がいい状態が続けばいいのに」と思ったことはあると思う。
逆に絶不調の状態の時「早くぬけ出すために頑張らなければ」と思うこともあると思う。
「消えてしまいたい」と思うこともあるかもしれん。

釈迦はこう説く。「心は固定できない」と。

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6:2016/06/03(金)00:45:14 ID:
心?
周りの環境ではなく?

まあ、心もコロコロ変わっちゃうけれどね。
7:2016/06/03(金)00:46:32 ID:
>>6
レスありがとう。
心がコロコロ変わるのはなぜなのかということに触れたい
 9:2016/06/03(金)00:51:18 ID:
「心は固定できない」
釈迦の言いたいことはどういうことなのだろうか。
「自分は自分であって、今までの経験があって、自分の固有の考えがあるじゃないか」
そう主張する人もいると思う。
しかし、釈迦はそれは真理ではないという。

ここで仏教が考える「苦」について述べたい。
「一切皆苦」という言葉がある。
「全ての行いは苦である」という意味だ。
実は「諸行無常」と「一切皆苦」は同じ文脈で使われていて、意味は殆ど同じなんだ。
10:2016/06/03(金)00:56:23 ID:
でも、医者がその考えに囚われないのは何故なんだろう?
私だったら、「やってられんなw」として、単なる糊口を凌ぐために
医者やるようになるんだろうな。
11:2016/06/03(金)01:01:32 ID:
「苦」というのは誤解しやすい。
「苦しい」という意味も含むが正確に言えば「幻滅させられる」という意味だ。

「全ての行いは幻滅させられる」これが一切皆苦だ。
仏教心理学的には
「苦苦」「壊苦」「行苦」の3つに分けられる。
「苦苦」=明らかに苦しんでいる様。病気などで苦しんでいる様子。
「壊苦」=壊れてしまう苦しみ。どんなにお金を持っていて自由に使えてもその快は永遠に続くものではない。
     飽きてまた新しい刺激が欲しくなる。ハッピーに見えるかもしれないが渇望は止まらないので実は苦しんでいる。
「行苦」=「欲しい」という欲望と「嫌だ」という怒りに振り回されている状態。
12:2016/06/03(金)01:07:49 ID:
ついでに「四苦八苦」についてもかいておくか。
「四苦」とは「生・老・病・死」のこと。
プラス4つで八苦だ。
愛別離苦=愛するものから離れなければならない苦しみ
怨憎会苦=目を背けたくなるようなことに出会わなければならない苦しみ
求不得苦=不可能なことを求める苦しみ。老いたくない、死にたくないなど
五蘊盛苦=この身体と心が様々に作りだす快・不快に囚われる苦しみ
13:2016/06/03(金)01:14:07 ID:
ちょっと初学者には少し専門的な言葉が多くなりすぎたかもしれない。
「人生は苦しみで満ちている」ばかり書いて不安にさせたかもしれない。
仏教は何を目的とするのかを書いてなかった。
仏教の目的は「ホッとすること」
これに尽きる。
「ホッとする」とは脳科学的に言えば、セロトニンを出すこと。
それを目的にしているんだ。
どうすれば僕達はホッとできるのか。
それを仏教は教えてくれるから、あまり堅苦しくならなくていい。
14:2016/06/03(金)01:22:57 ID:
誰かいるなら、質問してくれるとありがたいかも
そっから派生した方が分かりやすいかもしれん
15:2016/06/03(金)01:31:59 ID:
まあいいか。続けよう。

仏教の真髄はこれらの苦しみを俯瞰する「メタ認知」にある。
このメタ認知能力を「智慧」という。
これがもっとも重要なキーワードだ。

僕たちはついつい楽しいことは過剰になりすぎてしまうし、嫌いな人がいたらその人のことばかり考えてしまう。
その時には「主観」を持っている。
主観的に「気持ちいい」とか、「嫌い!」とか考えている。

その主観から離れた経験があるだろうか。
「あ、今快楽を感じているな」とか「あ、怒りが湧いてくるしんでいるな」とか。
その俯瞰、客観が「智慧」なんだ。
16:2016/06/03(金)01:32:27 ID:
全部間違っててワロタ
17:2016/06/03(金)01:37:18 ID:
どうもわからんな
18:2016/06/03(金)01:38:58 ID:
>>16
今自分はショックを受けた。
「全部間違っていてワロタ」と言われたからだ。

君にイラついたわけではないんだ。
「自分は仏教を本当に理解していなんじゃないか…」って思った。

この時に脳内では扁桃体からノルアドレナリンという不快物質が出ている。
それを前頭前野がブレーキをかける。
「冷静に見ろ。そんなに傷つくことはない」と。
これが理性だ。

そして最初に「反発心=怒り」を「瞋恚」という。
それを「智慧」で俯瞰した、ということになる。
21:2016/06/03(金)01:41:35 ID:
無我はどこいった
22:2016/06/03(金)01:42:29 ID:
>>21
無我についてはもう少し話を進めていったあとで話したい。
無常から繋げた方が分かりやすいと思うから。
23:2016/06/03(金)01:44:09 ID:
通りすがりの者だけど
空海が作ったおかゆはくうかいなんちゃって
24:2016/06/03(金)01:46:28 ID:
智慧で俯瞰してればホッとできるってことか?
んなわけあるめぇ
25:2016/06/03(金)02:02:44 ID:
さて、ちょうどいいので「三毒」について脳科学も交えながら話したい。
三毒は「貪欲・瞋恚・愚痴」の3つだ。
これは108つあると言われている煩悩の基本になる。
この3つだけでも煩悩の説明はできるくらいだ。

「貪欲」=欲する心(ドーパミン)
「瞋恚」=反発心、怒り、逃避(ノルアドレナリン)
「愚痴」=飽きて刺激を彷徨う心、迷い

脳の構造について説明したい。
実際はもっと複雑だが、簡単に説明する。
原始脳という部分があって、それは脳の一番深いところにある。
爬虫類にもある脳だ。
そこの近くにノルアドレナリンをだす扁桃体という部分とドーパミンを出す側坐核という部分がある。
扁桃体の方が側坐核より少し大きい。
なぜなら生命にとって「逃げる、もしくは戦う」とは行動上最も大事なことだからだ。
だから「逃げる、怒る」は両方とも「瞋恚」に含まれる。
逆に「貪欲」はドーパミン系の快楽物質だ。
ドーパミンがでると人間は気持ちよさを感じる。
両方とも出しっぱなしでは生命の危機になるので理性が働く。
前頭前野がブレーキをかけるわけだ。
その貪欲と瞋恚のアクセルと前頭前野のブレーキによって僕達は判断している。
動かされているといってもいいかもしれない。





26:2016/06/03(金)02:07:49 ID:
どんだけスローペースなんだ
27:2016/06/03(金)02:08:56 ID:
>>26
すまんね
間違って解釈していることがあるかもしれないけど、知ってることは誤解がないように伝えたい
28:2016/06/03(金)02:12:10 ID:
>>27
まあなかなか優れた考察だとは思うが
いよいよ無我のテーマに入ってきたか?
脳科学と仏教の無我というのは相通ずるものがあるとは
前々から思ってた
29:2016/06/03(金)02:13:57 ID:
>>28
もう少し待ってくれ
三毒の説明が終わってからならその説明ができる
30:2016/06/03(金)02:21:14 ID:
やっぱこうして見ると仏教は東洋哲学とは違うな
31:2016/06/03(金)02:34:59 ID:
三毒の中で「愚痴」は最も重要だ。
手を出して、親指が「貪欲」、人差し指が「瞋恚」だとすると、それで輪っかを作ってほしい。
摘むような形になったと思う。
その輪っかが「愚痴」だ。
貪欲と瞋恚という刺激と求めて彷徨っている。
その輪っかから逃れられない。
それが愚痴だ。

この三毒をどうにかしようとしても、古代から受け継がれてきた生命反応であるからどうにもできない。
だから、「智慧」によって俯瞰するんだ。
メタ的に自分がどのような状態か俯瞰する。

そして手を出さずに聞き届けてあげる。
これを「慈悲」という。
「苦しんでるねぇ」「喜んでるねぇ」と言った具合に。
何もしない。放おっておいて感じているだけ。

これが仏教では「蓮」をよく例えに使う。
蓮は泥の中で根付き、そこから花を咲かす。
この「泥」が煩悩、そしてそれを照らす「柔らかい日差し」が智慧と慈悲を象徴しているんだ。

座禅瞑想はその慈悲と智慧を鍛えるためにする。
色々な方法があるけど、「呼吸を観察する」というのはオーソドックスだ。
深呼吸しようとしたりするのではなく、自然な呼吸を観察する。
観察って言葉は「考えずに感じる」という解釈でいい。
そこに良いとも悪いとも言えない中立性を感じることができると思う。

その時に何が起こるのか。
脳は足るを知り、セロトニンを放出する。
ホッとするわけだ。
このセロトニンはドーパミン系やノルアドレナリン系と違って、自己受容体というものがある。
それが一杯になれば、また元の状態に戻る。
しかし、自己受容体はホッとしていくとだんだん減っていき、最後には無くなってセロトニンが出しっぱなしの状態になる
この状態を目指すのが仏教なんだ。
少なくとも原始仏教ではそういう修行をしてきた。
32:2016/06/03(金)03:09:15 ID:
さて、「無常」についてまとめようと思う。
僕たちは実は自分を思い通りに動かせていない。
座禅を組めば少しは分かるかもしれないが、色んな所がピクピク痙攣したり、さまざまな記憶が自分の意思とは反してかってに蘇る
「自分の身体は自分で動かせている」という錯覚が見事に打ち砕かれていく。

僕たちは調子が悪ければ直線的にいい状態を想像するということを安易にしがちだ。
しかし、本当はグチャグチャに変化している。
これが「無常」なんだ。

自己イメージを「慢」という。
これは理想像でも、悪い状態でも構わない。
どちらでも自己イメージなら「慢」だ。
何になりたい?という意味の「夢」も慢だ。
この慢は頭で考えられたものだ。
それに執着していると、本当はグチャグチャに変化しているのに、頭のなかではそれを捨てきれていないから、感覚と思考にギャップが生まれる。
これがどんどん大きくなると、何も感じなくなって、あれこれ考えるだけの状態になる。
これが鬱状態だ。
「慢=プライド」が捨てられない間、ずっと苦しむことになる。
その間セロトニンは全く出ておらず、ホッとするという感覚を忘れているからだ。

鬱状態を治したいなら、感じる時間を増やすことが大切だ。
お風呂に入ったときは、何も考えずお湯の温かみをジーンを感じる。
食べている時は、ゆっくり味わって食べる。
そういったことが大事になる。

まとめると、いい状態の時は必ず去るし、悪い状態の時も必ず去る。
それが無常である。
そして
「どうしようもないね、この身体と頭は。でもこれと付き合っていかなくてならないんだね」
と達観できれば、無常は少しは理解できたということになる。
また他者も変化しているので、自我を攻撃されたとしても、
「この人もずっとこの状態なわけではない。時間が経てば変わってしまうのだ」と思えれば、少しは気が楽になるかもしれない。
33:2016/06/03(金)04:15:38 ID:
「一切皆苦」と「諸行無常」がほとんど同じ意味ということにも触れておこう。
少し戻って見なおして欲しいのだが、「苦苦」「壊苦」「行苦」と「四苦八苦」について説明した。

ここで四苦をピックアップして見よう。
「生・老・病・死」だ。
「全ての物事は生まれて、老いて、病んで、死ぬ」
これは「全ての物事は変化する」と言っている「諸行無常」と一緒だということに気づいただろうか。

上司に褒められた時の「嬉しさ」は生まれて老いて病んで死ぬ。
恋人に振られた時の「悲しみ」も生まれて老いて病んで死ぬ。
自分で固定しようと思ってもできない。
「嬉しさ」をずっと感じている人はこの世にいないし、いつまでも「悲しみ」にくれているわけにもいかない。
勝手に変化してしまう。自分の意思を差し置いて。
これこそが「苦」つまり「幻滅させられる」ということの本意なんだ。

愛別離苦=縁が切れれば別れなければならない苦しみ。食べたい時に食べられない苦しみ。
怨憎会苦=嫌な上司と顔を合わせなければならない苦しみ。嫌な臭いを嗅がなくてはならない苦しみ。
求不得苦=整形して若返ったように見せても、実際は老けてしまう。それに抗えない苦しみ。
五蘊盛苦=この身体に生まれた(前に述べた脳のシステムなど)に閉じ込められている苦しみ。

このような苦しみを自分の意思に反して浴びせられる。幻滅させられる。
それが「一切皆苦」=「諸行無常」という意味だ。

さて、「生」は苦しみなのだろうか。
生まれることが苦しみだとは思わないという人もいると思う。
実はこれは「分別する心も持って生まれる」という苦しみなんだ。
誰でも美しいものは欲しいし、汚いものは捨ててしまいたい。
しかし、これは無我の解釈とも重なるが、本当は美しいものも、醜いものも存在していない。
ただ、そこに存在しているだけだ。
みんなゴキブリは嫌いだ。
でも本当はゴキブリという生き物がいるだけで、それを醜いと思っているのは自分の認識なんだ。
ゴッホの絵なんかもその事を裏付けている。
ゴッホが生前売った絵はたった一枚だ。
それが死後、彼が書いたたくさんの絵が何十億円で売れている。
「価値とは何か」ということを考えさせられる。

つまり、「好ましい」「醜い」と決めているのは人間の認識なんだ。
それが色眼鏡で見てしまう心を持って生まれた苦しみ、「生」の苦しみだ。
34:2016/06/03(金)04:29:28 ID:
上座部はちょっと切り口がラジカルすぎんだよね
そういう意味では俺には老子の方が肌に合う
35:2016/06/03(金)04:30:36 ID:
>>34
僕も老荘思想は好きだ。
菜根譚も好きやね。
36:2016/06/03(金)05:05:47 ID:
>>24
前提としてこの世の中は苦しいもんだ、って考えがあって、
それに対して「落ち着け!お前が苦しんでると思ってんのは肉体が物理的に反応してるだけで、
お前の魂自身は全く傷ついてないんやで!」
って言って安心させようとするのが仏教なんやで。
バーチャルリアリティの世界でドラゴンの炎に焼かれて熱がってるようなモンやな、今の俺らは。
37:2016/06/03(金)05:11:29 ID:
馬鹿だからよく分からないけど要は

・自分を客観視して他人事みたいに思ってみろ→苦しみから解放される

ってことですか?

あと、瞑想方法をバカ向けに分かり易く解説お願いします
これが一番知りたい瞑想方法
38:2016/06/03(金)05:21:19 ID:
>>37
初歩の初歩は目を半分だけ閉じて、「鼻→鼻頭→喉→肺→腹→肺→喉→鼻頭→鼻」という空気の流れを感じることです。
実はこれだけでも瞑想は貫徹できるくらい重要です。
重要なのは「無目的にする」ということ。
「早く楽になりたい!」とか「早くいい状態になりたい!」と「考えてしまう」と瞑想になりません。
あくまでも感じることが大切です。
ジーンと何かを感じたら、その感覚に集中してみましょう。
何も考えず、感じる。
瞑想について知りたいなら「自分を浄化する座禅入門(小池龍之介)」がオススメです。
初心者にわかりやすく書いてあります
40:2016/06/03(金)05:40:16 ID:
さて、いよいよ「無我」の説明に入ろうと思う。
様々な面から無我を語ることができるが、「スケールの問題」が分かりやすいと思う。
「正解はスケールで決まる」僕の大好きな素粒子物理学者ローレンスMクラウスの言葉だ。

さて、人間のスケールから、どんどん大きくしていこう。
僕は今パソコンに向かってタイピングしている。
スケールを大きくしていけば、家、街、県、国、地球、太陽系、銀河系・・・と最後には宇宙全体のスケールになる。
逆に小さくしてみよう。
肌、毛穴、細胞、遺伝子、分子、原子、素粒子とどんどん小さくなる。
超弦理論が正しければ最小単位はヒモの振動ということになる。

さあ僕たちは人間のスケールでは自我を保てているが、宇宙のスケール、もしくは素粒子のスケールで自分の命があることを証明できるだろうか。
宇宙のスケールからみればどうでもいい小さなゴミだろうし、逆に素粒子のスケールからみれば僕達自身が宇宙と呼べるかもしれない。

つまり、僕達が命を主張できるのは生物のスケールだけだ。
生物のスケールというのも大雑把だ。
生物の大きさが多種多様であり、布団にはダニはいるだろうけど、僕たちはそれを意識せず「布団がある」と認識する。
しかし、細分化すれば、僕たちは明らかに「物質」だ。

ちょっと話がそれるが、僕たちは星と事実的に繋がっている。
なぜなら、昔に星が超新星爆発をしていなかったら、新しい元素は生まれていないからだ。
酸素、カルシウム、鉄、リン様々な元素が超新星爆発によって生まれた結果、僕達の形に「今、このタイミング」で凝固している。

つまり、僕たちは存在しているが「実体はない」
これが「無我=空=空っぽ」だ。
41:2016/06/03(金)05:41:27 ID:
では、僕たちは何によって存在しているのだろうか。
「縁起」によってである。
確かに僕たちは物質だ。
しかし、縁起によって凝固して、自分という命がある。
宇宙が生まれ、星々が生まれ、地球が生まれ、先祖が出会いを繰り返しながら僕達がいる。
その過程は奇跡なんだ。
だから僕たちは真剣に自分の人生と向き合わなければならない。
どんなに気に入らなくても。
二度と同じようには凝固しないだろう。
そして僕達もいつかは去らなければならない。
死ぬのも縁だからだ。

ここでまた「生老病死」について考えてみたい。
仏教では自然に変化していくという観点から、「生きることは死ぬことだ」とか「死ぬことは生きることだ」という説明をする。
氷を例にあげたい。
氷は時間が経つとじわじわと溶け始め(老いる)、最後には氷は死ぬ。
しかし、そこには水が生まれている。
その水もまた生老病死によって形を変えるだろう。
そうやって世界は回っていく。

やっぱり氷は変化する以上実体はないし、水も変化する以上実体はない。
やっぱり空っぽだ。

「無我=空」を理解するのは本当に難しいのでここらへんで切り上げたい。

しかし面白いのが、「無常」も「一切皆苦」も「無我」も本質的には同じことを言っているという点だ。
僕はこのスレでの目的を果たすことができた。
そのことを伝えられたからだ。

今からは質問受付けます
46:2016/06/03(金)08:00:17 ID:
イッチがニートであることは仏教的に意味があるの?